茶屋のだんぢり漫遊録

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藤本工務店が上地車を修復するのは…




過去の『だんじり行事』を紐解いていくというのは、ある意味、手元にある大量の写真の整理を兼ねる事にもなります。


仕事の兼ね合いで、年間すべての『だんじり行事』に足を運べない関係上、当サイトの撮影スタッフからお写真だけがもたらされる事もしばしばあるのです。


自分が足を運んだ行事なら自分が見た事をベースに書けば良いのですが、そうではない場合、提供されたお写真とにらめっこしながら、ブログとして書き起こせるかどうかを精査するのです。

さも自分が足を運んで見て来たかのように書くのはご愛嬌。

ご愛嬌?・・・うーん、テクニックと呼んでもらおうか。


昨年の『だんじり行事』の中でまだご紹介していないものを書き起こすことで春を迎えようとしているこの時期、今回はこんなだんじり行事に触れてみたいと思います。



こちらは河内長野市古野のだんじり

9月2日(日)、そう前回まで和泉市の久井町、泉佐野市の上瓦屋と、ワタクシが二つの入魂式をハシゴしていた日に行われていた、もうひとつの入魂式がここ、河内長野市の古野でした。




この古野の先代だんじり(当時の町名は上古野)については当ブログでも触れております。

現在は千早赤阪村の中でも最も山手に位置する中津原の現だんじりの、元となっただんじりであります。

この中津原の現だんじりは、ここ古野の先代だんじりをベースに、中津原の先代『担いだんじり』の彫物を組み込んで製作されたものでしたね。



さて、現在の古野のだんじりは平成10年に堺市の草部地区・太井より購入されたもの。



製作年代は幕末から明治初期と見られ、製作大工は《大佐》十一代目・川崎仙之助であり、彫師は《彫又》一門



平成20年に岸和田の《吉為工務店》にて修復されております。



それから10年の年月を経て、今回この古野のだんじりの修復を請け負ったのが岸和田市田治米町に居を構える《藤本工務店》であります。




《藤本工務店》と言えば、だんじりのお仕事以外にも社寺建築や一般建築にも精通し、まただんじりで言えば地元・田治米町のだんじり修復を手掛けるほか、堺市の菱木奥のだんじりや、昨年では山直地区の岡山町東出小路のだんじり修復に腕を振るっておられるほか、現在は和泉市は松尾連合の春木町のだんじり新調を請け負い、同師の出世だんじりとして目下鋭意制作中。



2021年には完成予定という春木町の新調だんじりも大いに楽しみでありますが、その《藤本工務店》が、『上地車』を修復したのはおそらく、この古野が最初ではないですかね?



同年に堺市の久世地区・桝矢のだんじりの修復を手がけていますが、古野の修復は『上地車』の仕事としては初めての事だと思います。

ワタクシの記憶にない。



さて入魂式は9月2日(日)の午前中から古野のだんじり小屋の前で行われ、氏神である西代神社の神職を招いて行われました。




ちなみにこのだんじりの正面車板の部分に見える
『浦野神社』
と書かれた額板は、かつてこのだんじりが堺市の太井に嫁いで来る前に曳かれていた、現在の住之江区安立町の氏神の名前であると思われ、現在は住吉区の『止止呂支比売命神社(別名:若松神社)』『浦命神社』という名で合祀されてあるのがそれではないかと思われます。



かつて住吉大社の『夏越の祓祭(別名:お祓い祭)』で曳かれていた頃の歴史を今に伝える貴重な資料と言えるでしょう。





未来永劫、大切に守り続けてもらいたいだんじりのひとつであります。
 



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