茶屋のだんぢり漫遊録

目次

前回のブログを受けて・・・




前回、河内長野市の古野のだんじりについてご紹介しました。



修復を担当したのが岸和田市田治米町に作業場を構える《藤本工務店》でありまして、おそらく、藤本師が『上地車』を修復したのは初めてではないかとお伝えしました。


それと前後して堺市の枡矢のだんじりも修復とお伝えしました。

では、ついでと言っちゃ〜何ですが、前回からの流れで、枡矢のだんじりをご紹介しましょう。

こちら。



昭和62年《池内工務店》にて新調されただんじりで、見送り部分が『岸和田型』的な見送り構造になっている、いわゆる『折衷型』に分類される形式。



『上地車』をベースに、『下地車(岸和田型)』の要素をミックスした形式の、いわゆる『折衷型』と呼ばれるだんじりは、昭和6年に泉大津の田中町が新調したものがその先駆けとされています。



しかし、昭和の終わり頃から平成初期にかけて、堺市の深井地区を中心にその周辺地区で新調された『折衷型』のだんじりは、昭和の初め頃に泉大津で新調された『折衷型』のだんじりとは似て非なるもので、昭和の終わり頃から新調された『折衷型』のだんじりは、元来の『上地車』による祭礼文化を継承しつつ、遣り廻しに適した安定性と、『下地車』にはない見た目の派手さ、豪華さを追求した姿見になっています。




で!・・・


話を戻すのですが・・・


枡矢のだんじりは、正面の柱巻きに龍などの彫物がなく、屋根の形状なども比較的シンプルで、昭和の終わり頃に製作されただんじりの中では、派手さを抑えた造りになっています。



で、お写真からも分かる通り、正面の勾欄の内側の舞台の『床面』が吹き抜け状になっており、正面に立つ責任者やブレーキ係の人は、バルコニーに肘をついて乗る様な感じになる形式です。



同じ様な形状のだんじりは昭和61年に同じく《池内工務店》にて製作された、高石市南(三区)の先代だんじりがそうでしたが、河内長野市の下西代のだんじりとなっている現在、その形状は改修されています。




こうした特異な形状のだんじりは本当にこの昭和の終わり頃に製作されただんじりにしか見られないもので、当時の工匠の創意工夫や試行錯誤の跡が垣間見れるのであります。




さて、先程からご紹介しているお写真は、昨年9月23日(日)に行なわれた入魂式の模様です。



大きく入れ替わった部材等は見当たらず、製作当時の姿を留めた修復となっています。


この修復を手掛けたのが、前回のブログで古野のだんじりの修復を手掛けた《藤本工務店》なのであります。



前回のブログで、《藤本工務店》が初めて『上地車』の修復を手掛けたのは古野のだんじりと申し上げていますが、修復のために工務店に搬入されたのは、こちら枡矢の方が先だった様です。


とはいえ、どちらから先に手をつけて行ったかなどは大きな問題ではないし、先に入魂式を行なっているのは古野の方でもあるので、古野と枡矢、その両方をもって、《藤本工務店》が手掛ける最初の『上地車』の修復・・・ということで良いのではないでしょうか?




いずれにせよ、今後とも地域の宝物として、大切に守り伝えていってほしいものです。



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