ドシャ降りの入魂式 in 九月

季節が進みまして、雨の多い時期へとさしかかって来ました。
この時期はひと雨ごとに暖かくなってくる時期で、この断続的な雨は春の足音だと思って下さい。
そんな雨の季節、半年ほど時計の針を巻き戻して、夏から秋にかけての雨の日の話題を振り返りたいと思います。
2018年、9月9日(日)のこと。
この日は泉州地方でいくつかの入魂式が行われていましたが、一番の目玉は和泉市の馬場之町の新調だんじり完成に伴う入魂式でした。
が・・・!
その新調だんじりにつきましてはまた触れるとして、今回は修復に伴う入魂式の中から、手元にお写真のある2町の模様を振り返ってみます。
まずこちら。

高石市は紀州街道連合の元町(四区)のだんじり。
このお写真は午前6時頃の小屋出しの時で、まだこの日は晴れておりました。
例の台風21号による多大な被害を受けた泉州各地区ですが、この日入魂式の行われた地域も、所々で民家の屋根や看板などに被害の爪痕が残る箇所もあり、そんな中を、各地の入魂式は行われたのであります。

高石市・元町のだんじりは昭和12年に岸和田市の包近町が新調したもので、大工は《大宗》植山宗一郎で、彫師は木下舜次郎、玉井行陽によるもの。
平成14年、包近町の現だんじり新調に伴い、元町へと嫁いできたものです。
この元町はかつての村名を『辻』と言い、だんじり小屋は高石神社の敷地内にありますが町域は南海本線・高石駅の周辺から紀州街道あたりを指します。

昭和の頃、高石市の独特の区割りで『四区』と呼ばれ、昭和59年に泉北郡忠岡町の濱之町からだんじりを購入した時には『四区』の名称で曳行されています。
高石市域におけるだんじりの歴史は、古くは江戸期から存在していた村もある様で、その後明治〜昭和の30年代頃まで多数存在していた模様。
当時はまだ『上地車』の文化であった様だが、隣接する堺市のだんじり祭が衰退するのと同じくして各村ごとにだんじりを手放し、その後昭和40年代頃から手作りの『花車』が登場する様になります。
昭和の終わり頃まで各村(各区)ごとに花車による祭礼が行われていた時代に、現在の元町となる四区が忠岡の濱之町から本格的な『岸和田型だんじり(下地車)』を購入した事が、高石市の『だんじり祭』復興の礎となったのでした。

この忠岡の濱之町より購入しただんじりは現在の元町にとって先代だんじりにあたり、平成14年に現地車を購入するに伴い、堺市の深井中町西へと売却。
現在も現役で活躍中です。
さて現だんじりも高石へとやって来てから15年が経過した昨年、《植山工務店》にて修復。

9月9日(日)に行われた入魂式は、神社の敷地内の小屋から曳き出されて一旦町内へ。
そこから改めて高石神社へと宮入りしての入魂式となりました。

神事を終えると、時間にして午前7時過ぎ。
これより、高石のメインの周回コースをお披露目曳行に移ります。

パレードの時にはセレモニーも行われる、高石のメインの交差点・通称『たか』を遣り廻し。

この高石の周回コースはこの『たか』の交差点を中心に遣り廻しの出来る交差点が多く、見せ場の多いコースとなっています。
元町のだんじりはこの周回コースを右へ左へ、縦横無尽に曳行して随所で遣り廻しを披露して行きます。

その勢い、スピードは祭礼本番さながらの迫力。
曳き手の本気の曳行は見る者を魅きつけます。

そんなお披露目曳行中に、雨粒が落ちて来たと思ったら、瞬く間に本降りの雨模様となりました。
まぁしかし元町のだんじりもそんな雨模様をものともせず、最後まで目一杯の遣り廻しを決めながら、お披露目曳行を終えました。

さて、次回は同じ日に行われた他の入魂式を振り返ろう思います。
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