前から気になってたんや・・・

3月の終わり頃から長らく続いていた『花冷え』の日々が終わりまして、ようやくこの時期らしい暖かい日が戻って参りました。
東京は桜が満開を迎えてから気温が下がったために満開のまま長続きしましたが、大阪ではまだ咲き揃ってない状態で気温が下がり、満開までの道のりが長くなりました。
いずれにせよ、桜にとっては可哀想な気候の変化でしたね。
さて、ようやく大阪でも桜が満開を迎え、そしてもう散り始めておりますが、今回のブログはまた、過去の未報告ネタを拾いに半年ほど遡りますよ。
特に昨年のネタで、これは必ず拾っておきたかったネタがこちらでございます。
泉佐野市の、長滝西ノ番のだんじり。

昨年、岸和田の《植山工務店》にて修復され、9月23日(日)に入魂式ならびにお披露目曳行が行われたもの。

ご存知の方も多いでしょう、昭和8年に《大宗》植山宗一郎にて新調されただんじりで、彫師は吉岡義峰を責任者に森曲江を助として製作されたもので、『名地車』の名を欲しいままにするだんじりです。

熊取町の大宮のだんじりとは『兄弟だんじり』と言われ、新調当時は大宮と同じく『二重破風入母屋造り』の屋根であったと言います。

昭和55年、植山宗一郎の実弟で《大義》植山義正 師の手によって修復された際、現在の『入母屋造り』の屋根に改められています。
僕らがこのだんじりを写真で初めて見たのは昭和58年の祭礼時の写真なので、このだんじりの『二重破風』時代の姿は知らないままであります。

さてこの長滝西ノ番のだんじり、今回の修復は大きな部材の新調交換などはない模様で、その姿形に大きな変化はありません。

入魂式当日、早朝6時半に小屋を出発。
氏神さまである『蟻通神社』までは、遣り廻しを行わず。

ここ『蟻通神社』の境内中央には大きな『能舞台』がある祭礼時の宮入りでは、熊取の大森神社の宮入りと同じく、だんじりがこの能舞台の周りを勢い良く3周回ります。

ちなみに、蟻通神社の宮入りが時計回りであるのに対して、熊取の大森神社の宮入りは反時計回りに回ります。
どっちがどうとか、神事的な意味合いは知りません。
神社に入って来た方向がそうなってるんじゃないですかね?

しかしまぁこの日は入魂式という事で、だんじりは回らずにそのまま能舞台の前に据え置かれました。
これより神事の時間を利用して、だんじり本体を鑑賞させて頂きます。

以前にも、この長滝西ノ番のだんじりは何度か鑑賞させて頂く機会があり、その時にも気になっていたのですが、せっかく名匠・吉岡義峰 師の名作であるのに、各人物や馬などの『目』の境目が雑な感じになっていて、いわゆる『涙目』の様になっていたのです。

つまり、せっかく名作と誉れ高い彫物やのに、『目』が残念な感じになっていたのが、すごく気になっていました。

それが今回の修復で、それら彫物の『目』が復元されていて、各々の凛々しい表情が甦っていたので、これはとても嬉しかったですねぇ!

やっぱり彫物は『目』で印象が変わるんです。
さて、入魂式を終えただんじりは、午前7時半頃からお披露目曳行へと移ります。

まずは神社を出て右へ、長滝地区のメインの交差点、旧デイリー前にて往復2回の遣り廻し。

その後、旧熊野街道を大阪方面へ。
昔ながらの古い民家が残る路地をゆっくりと曳行。
こういう風景は絵になります。

途中、また旧デイリー前に差し掛かると、遣り廻しを決めながらの曳行となります。
そして、この日の曳行コースでワタクシが興味をそそられたのは、こちら。

長滝郵便局から、JA長滝支店の横を西ノ番の小屋前へと抜ける細い路地。
3日ほど前に下見に行った時に、ワタクシの運転する軽四で通り抜けるのもちょっと怖かったぐらいの狭さ。

長滝西ノ番のだんじりって、決して寸法の小さなだんじりじゃありませんよ。
それが、どうやってこの路地を通り抜けるのか、拝んでおきたかった。
豪快な遣り廻しもモチロン良いのですが、タイトコース好きのワタクシ的には、民家の軒先スレスレを通る風景も、堪能しておきたいのです。
さぁ、細い路地も抜け、お披露目曳行の最後は自町の小屋へと変える手前の、セブンイレブン前の交差点。

ここでお披露目曳行としとは最後の遣り廻しを決め、お披露目曳行は無事に終了しました。
この日、午後からはあらためて試験曳き、そして上之郷地区のだんじりを迎えての長滝駅前パレードが盛大に執り行われました。

泉佐野市の中でもとりわけ存在感を放つ長滝西ノ番のだんじり、午後からも多くの見物客の目を楽しませていました。

『名地車』の名を欲しいままにするだんじり、名実ともに『名地車』となって、これからもますます大切に曳行されます事を、願っております。
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