平成〜令和シリーズ④ 各地のダイジェスト

前回まで『平成〜令和シリーズ』と題して、神戸市内にて行われた奉祝行事の模様をお届けしてきました。

5月1日当日は地上波のテレビも新天皇御即位の模様をこぞって放送し、それに伴う日本全国の奉祝行事の様子も取り上げていました。
神戸市にて行われた、阪神間のだんじり45台による奉祝行事もそれらの中で取り上げられ、ワタクシも
『神戸のだんじりテレビでやってたで〜』
という情報は色んな人から聞かれました。
現場には行かなかったけど、テレビでその様子をご覧になったという方も、多かったのではないでしょうか?

さて、だんじり界全体に目を移すと、神戸ほど規模の大きなものではないにせよ、5月1日は各地区で『令和奉祝』のだんじり行事が数多く行われました。
さらに、5月1日に限らず、その後の大型連休や連休後最初の日曜日にかけても、『令和奉祝』のだんじり行事は広い地域に拡大して行われています。
そのすべてではないにせよ、いくつかのお写真がワタクシの手元にも寄せられておりますが、それらすべてをブログでご紹介していると、ずっと『令和奉祝シリーズ』になってしまいますので、まぁ今回は、それらの中からいくつかをダイジェストにまとめてみようかと思うのですが・・・
まずはこちら。

和泉市・府中地区におきまして、早朝より5台のだんじりが曳き出され、和泉井上神社に宮入りし、令和元年初日を奉祝しました。

南之町、馬場之町、東泉寺、市辺町、小社之町の5台のだんじりが、だいたい午前6時半には曳行を開始し、7時過ぎにはJR和泉府中の駅前通りに集合。

お写真でも分かる通り、道中での遣り廻しは行われませんでしたが、祭礼時と変わらぬ雰囲気は健在。

ご覧のように朝からの雨模様により、だんじりはすべて屋根にシートを被せての曳行。

かつて和泉國五社(大鳥、穴師、聖、積川、日根)を勧請して創建された『和泉総社』として栄えた『和泉井上神社』ですが、そもそもの由来は神功皇后が三韓征伐に出る前に立ち寄ったところ泉が湧き出し、これを『霊泉』として祠を建てて祀ったのが始まりで、これを『和泉清水』と呼び、『和泉』の地名の由来となったのは広く知られるところでしょう。

そうした歴史的背景もあって、令和元年初日を迎えた5月1日に、だんじりの宮入りをもって奉祝申し上げる行事を挙行したという事です。
続いてこちら。

東大阪市・森河内八幡神社の氏地である、森河内本郷、新地のだんじり。

写真は午前中のものですが、うまい具合に雨上がりのようです。
どこの地区も趣旨は新天皇の即位と令和元年初日を奉祝する目的なので、そのへんの説明はもういいでしょう。

本郷、新地、2台のだんじりが午前10時頃に森河内八幡神社に揃い踏みし、奉祝申し上げました。

森河内ではこの後、夕方まで2台のだんじりが曳行され、また本郷は夜も曳行されていたそうです。

神戸市内で華やかに奉祝行事が行われている傍らで、こちら伊丹市ではささやかではありますが、令和奉祝行事としてだんじりが曳行されていました。

こちらは寺本のだんじり。
お写真の時間帯としては午後3時半以降、4時頃にかけてなのですが、道路がまったく濡れておらず、どうやら伊丹市内は雨には降られなかった模様です。

神戸市内は午後からも雨に降られまして、パレードを解散した午後3時半以降の時間帯も、道路はしっとりと濡れてましたからね〜。

東大阪市の大蓮の先代だんじりで、平成23年に寺本に嫁いだだんじりですが、現在も大切に曳行されている様です。
所変わってこちらは大阪市・生野区の『旧・生野村』にあたる、生野神社、生野八坂、田嶋のだんじり。

時間的には夕方であり、提灯に灯が入り始める頃ですね。

生野区の中で令和奉祝行事の曳行を行なったのは、この地域だけの様です。
旧・生野村は現在、一村一社の形であり、舎利寺村に生野神社、林寺村に生野八坂神社、田嶋村に田嶋神社があり、各だんじりのうち生野神社と生野八坂のだんじりは『宮附地車』の形態を採っています。

その2台の宮附地車は、どちらも平成に入ってから数十年ぶりの復活を遂げただんじりであり、時代を越えて令和を迎えたこの日、未来永劫末永くだんじり曳行を継続させていく願いも込めて、令和初日にだんじりを曳行させ、旧生野村で友好を深めました。

ここ旧生野村の3台も、この日は夜8時頃まで曳行されていました。
さて夜を迎えて、最後にご紹介するのはこちら。

朝の模様をご紹介した森河内の隣村、東大阪市は楠根村にあたる、稲田橋本のだんじり。
稲田八幡神社の氏地には5台のだんじりがありますが、令和奉祝行事として曳行したのはこちら、稲田橋本のだんじりのみであった様です。

さてさて、今回は5月1日に『令和奉祝』として曳行されただんじりを、ザッとダイジェストでお届けしました。
他にもまだまだご紹介したいだんじりもあるのですが、ひとまず今回はこのへんにしておきます。
令和の時代も、各地のだんじりが大切に曳行され、地域の宝物として末永く栄えることを願っております。
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