山あいの急坂をだんじりが練る

元号の変更という歴史的な行事を包括した今年の大型連休の初日へと時間を戻します。
平成31年4月28日(日)のお話。
兵庫県西宮市の山手・・・
そう、西宮名塩と呼ばれる地区で、1台のだんじりが《井上工務店》にて修復されるに伴い、抜魂式が行われるとのことで朝から出向いて参りました。
こちら!

名塩北之町のだんじり。
ここ西宮名塩は全体でも戸数の少ない地域なのですが、氏神である『名塩八幡神社』の祭礼にはなんと8台のだんじりが曳き出されます。
一番東の遠方で、実質的には隣村にあたる『木之元』以外は町名の頭に『名塩』を冠しており、山あいの小さな集落に7台ものだんじりが現存している地域も現代では珍しいかも知れません。

さてこの日、北之町のだんじりが町内の小屋を出発して、旧国道のバス通りへ出て来るまでに、絶対に見ておきたい場面がありました。
こちら!

源照寺の前の急坂。
北之町と山之町の町内とバス通りとを結ぶ道で、祭礼日に北之町と山之町のだんじりはこの急坂を上り下りしているそう。
この日は抜魂式のため、下りのみの曳行という事で、何としても間に合いたかった場面であります。

ご覧のように道の両側に石垣が迫り、右側には源照寺の山門という絵になるロケーション。
道路はアスファルトではなく、滑り止めの溝が掘られたコンクリート製の急坂であります。

道の左側が違うコンクリートになっているのは、かつてその部分は水路で、元々の道幅は右側の部分だけだったそうです。
埋め立てた左側の水路は今でも水路として残っているようで、所々に排水口の蓋が見えます。
この急坂を、ゆっくりゆっくり下ってくる北之町のだんじりが拝めただけで、ワタクシにとっての念願は成就であります。

バス通りへ出る手前でクランク状に曲がりくねっている箇所。
この急坂を下る時は、こうしてだんじりの後ろに綱を出して、保存会や村の女性たちが綱を持ち、だんじりが急坂で転がり降りない様にしています。

平地の多い大阪市内やその周辺では見られない光景が、こうした山あいの地域では見る事が出来ます。
だんじりの醍醐味のひとつでもありますね。

さて、急坂を下り終えて、旧国道176号線のバス通りへと出ます。
ここからは、旧国道と平行して名塩の地域を東西に走る『蘭学通り』と呼ばれる道を通り、氏神・名塩八幡神社を目指します。

神社の参道に差し掛かると、ここからまた登り坂。
そして神社の境内へはまたまた短い急坂を押し上げます。

神社の拝殿はさらに階段を登った上にあるのですが、ここでは参拝のみで抜魂式はまた別の場所にて。

神社を出発しただんじりは来た道を戻り、中之町の小屋の前にあるJAの駐車場へと向かいます。

途中、以前このブログでご紹介した中之町のだんじりが小屋を開けてお出迎え。
ここに祭壇を設置し、神職を招いて『抜魂式』が執り行われました。

神事が終わりまして、程近い名塩会館の駐車場へと移動しまして、トラックへの積み込みのための準備に入ります。

提灯や幕など、飾り付けの取り外し。

ここから、だんじり本体の姿見や彫物を収めんと、カメラ構えた愛好家たちの戦いが始まります。
青年団の皆さんの手際が想像以上に良く、わずか数分ですべての飾り付けが取り外されました。

姿を現わすだんじり本体。
製作年代や大工は不詳ながら、彫師は《小松》一門かなぁ?
小屋根車板の唐獅子が、定番の構図ながら秀逸ですねぇ。

作業の邪魔にならないよう、遠巻きに、合間をみては駆け寄って、手っ取り早く写真に収めてゆくのです。
大屋根の車板の龍も、なかなか迫力あります。

虹梁に目を移すと、龍の顔や爪などの付け木が欠損しており、今回の修復で欠け継ぎが行われるのではないでしょうか?」

三枚幕式のだんじりのため、彫物は屋根廻りのみになります。
見送り幕はこのように竹で膨らみを持たせてあります。

こうした内側の細工を拝見できるのも、貴重な機会なのであります。
型分けの分類上、『宝塚型に準ずる』とされていますが、こうして飾り物をすべて取り外した姿を見る限り、『三枚幕式大阪型』と呼んで差し支えなさそうな構造ですね。

トラックに搬入されるまでの時間、その姿見を眺めては、かつての昔、こうした造りのだんじりが西宮名塩に根付いていった時代に想いを馳せておりました。

やがてだんじりを乗せたトラックは名塩を旅立ち、一路、泉州岸和田へ。

今年の祭礼まえには、美しくなって還って来る事でしょう。
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