写真で振り返る大北町入魂式

令和元年5月12日(日)
午前5時半頃・・・
岸和田市筋海町に居を構える《地車製作 隆匠》から、1台のだんじりが曳き出されました。

それは、同じく岸和田市は大北町のだんじり。
これより修復に伴う入魂式、ならびにお披露目曳行へと出ます。

お写真でも分かる通り、筋海町もだんじり小屋を開けて、大北町の修復完了をお祝い。
さてまずは入魂式に先駆けて、工務店より町内へと曳き帰ります。
道中、北町の『菊衛門橋』から紀州街道へ入り、『らんかん橋』の交差点にて修復後1発目の遣り廻し。

思えば今から7年前、平成24年に新調完成した入魂式の日も、同じ道を通って工務店から町内まで帰ってきたなぁ。

大北町のだんじりの町内での定位置は、ご存知の方も多いでしょう旧・坂口石油前。

祭礼日はカンカン場へ向けて停車させますが、この日は入魂式に向かうため、大手町方向を向いて停めまして、宮入り用のフキチリに交換するなどの準備を施し、いざ、岸城神社へ。
神社への道中、必ず通る市役所前のコナカラ坂を登る大北町のだんじり。

時間にして6時20分頃。
早朝から詰め掛けた多くの見物客が見守る中、岸和田城へ向けての遣り廻し。

岸和田城の本丸の周囲をぐるりと回り、天守閣をバックに進むだんじり。

岸城神社への宮入り道の風物詩であり、また『お城とだんじり』のコラボは、いつも絵になる風景であります。
5月の眩しい朝日を浴びながら、岸城神社へと到着。

これより入魂式。
先代だんじりの頃から、大北町の入魂式と言えば7月に行われる事が多かった気がします。
新調完成の入魂式も7月だったし。

大北町が春に入魂式を行なったのは、昭和63年、『岸和田城四百年祭』の年。
その年の4月10日(日)に行われた『岸和田だんじり大パレード』に参加するべく、その一週間前である4月3日(日)に入魂式が行われました。
何を隠そうワタクシ信濃屋が生まれて初めて『入魂式』というものを目の当たりにした日・・・なのであります。
あれから31年もの年月が流れ、時代も昭和から平成、平成から令和へと変わり、数え切れないほどの入魂式に足を運んできました。
しかし、こうしてコナカラ坂を駆け上がって岸城神社へとやって来る入魂式の風景は、あの頃と何ら変わりませんなぁ。

入魂式を終えただんじりは『城見橋』の交差点にて『宮下りの遣り廻し』を行い、浜方向へと下って行きます。

そして、船津橋の交差点を町内へ向けて遣り廻し。

これより宮入り用のフキチリを通常曳行用の幟に交換して、だんじりは180° 向きを変え、カンカン場へと向かいます。
カンカン場での遣り廻し。

現在では旧市地区における入魂式、その後のお披露目曳行に於いて、カンカン場は当たり前の様に曳行していますが、昭和から平成に入った頃までの入魂式では、カンカン場の通行は許可が下りませんでした。

ちなみにここ2~3年のの入魂式では、中央分離帯や車道側から遣り廻しを見る事が出来なくなっています。
まぁ入魂式は祭礼日ではなく、反対側車線は普通に車が通ってますのでね、致し方のない事なのかも知れません。
カンカン場を通過しただんじりは次の交差点『貝源』を右折し、また次の『らんかん橋』を右折し、船津橋をさらに浜方向に進み、通称『別寅』の交差点を左折。

大北町の町内であります。
このまま『浜筋』を浜保育園まで進み、中之濱町と大工町の境界線である『ダイコー交差点』より疎開道へ。

岸和田の『浜地区』と呼ばれる町の入魂式ではお馴染みの風景にも見えるのですが、実は大北町のだんじりがこの交差点を遣り廻しするのは、祭礼日でもあまり見られない事で、入魂式ならではと言うか、実はかなりレアな事でもあるのです。

さ、お写真で振り返る大北町の入魂式、最後の場面はここ、大北町の新会館のある道から小屋へ向いて進む風景。

今年、岸和田の旧市地区で大掛かりな入魂式・ならびにお披露目曳行は、この大北町のみと聞いております。

大北町の皆さん、この度はだんじり修復完了、おめでとうございます。
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