茶屋のだんぢり漫遊録

目次

見たかった名地車





前々回のブログで、岸和田市は旧市地区・大北町の修復に伴う入魂式の話題をお届けしました。



同じ日、同じく岸和田市の山直地区でも、1台のだんじりが修理後のお披露目曳行を行なっておりました。

こちら。



岡山町は大西小路のだんじり。



昭和10年、山直下村新在家が山直町岡山となり、新在家の小字だった大小路と西村が合併して『大西小路』となった、まさにその年に新調されただんじりで、大工は《大宗》植山宗一郎、彫師は吉岡義峰・木下舜次郎という、今聞いても『おぉ!』と思ってしまう工匠による作品。



午前5時半の時点で、まだ小屋から半身を出した状態で出発を待っておりました。

今回、《植山工務店》にて修復し、3月31日(日)にはすでに町内へと搬入され、入魂式も執り行われております。
この日は改めてのお披露目曳行なのです。



早朝から浜の方では、大北町のだんじりが工務店から曳き帰り、その後コナカラ坂を登って岸城神社へと向かうとあって、見物客も浜の方に集中しておりまして、こちらは午前6時の出発間際でも見物客はまばら。

ワタクシ的にはこうした静かな風景の方が好みですからな。




それにワタクシも岸和田の九月祭礼に身を置く立場でもありますので、大北町のだんじりはまた拝見する機会も訪れましょう。

しかし、ワタクシ泉州十月祭礼は別の地区に身を置いております関係上、十月祭礼の地区のだんじりには、なかなかお目にかかる機会が訪れません


なのでワタクシ的にはこちらを選んだという訳。



どうせなら、こうして小屋から出発する場面から拝みたかったのです。

さて、この日ワタクシは動画撮影が主なミッションでして、曳行中のお写真はあまり撮っておりませんでね、曳行のお話はザッと駆け足で参ります。




午前6時の少し前に小屋から出されただんじりは、すぐ横の『久米田公園(岡山側)』の前で折り返し、ここから正式な出発。



岡山町の交差点を左折して岡山町の氏神・菅原神社にて参拝の上、しばらくの間留め置き。



神社を出発して久米田池の畔沿いに大西小路の町内を曳行し、ここからようやく周回コースへと出まして、山直地区のパレードコースを2周、遣り廻しを4回ばかし披露しまして、無事にお披露目曳行は終了しました。


周回コースの曳行中、こちらも修理を終えて工務店から町内へと向かう三田町のだんじりが、トラックに乗せられ見物客の前を通り過ぎて行くというハプニングも。



曳行時間の後半に遣り廻しが見られるとあって、その時間には見せ場の交差点である『青石』周辺には多くの見物客が詰め掛けました。



おそらく、大北町から流れて来たであろう見物客も多かったでしょう。


さて、再び久米田公園へと戻って来て据え置かれた大西小路のだんじり。



実はワタクシ、その昔の若かりし頃、だんじり関連の先輩方などから
『大西小路の彫物はええで~』
と聞かされること数知れず。



泉州一円に『名地車』と呼ばれるだんじりも数多くあり、それらの中で、
『大西小路も忘れたらアカン!』
と、諸先輩方は申しておられました。



しかしワタクシとて泉州十月祭礼の日は今でこそひとつの地区でずっと居ますが、昔は泉州中を駆けずり回ってましてね~。

なかなか1台のだんじりが据え置かれている所をじっくり拝見する事もままなりませんでした。


そうこうしている間に現在に至ります、このだんじりをじっくり拝見させて頂いたのは、お恥ずかしながら今回が初でございます。

まず屋根廻り。



大好きな『切妻造り』の屋根。

実はここ大西小路のだんじりは、昭和10年の新調当時は切妻造りの屋根で、昭和60年に《天野工務店》にて改修した時に一度『入母屋造り』の屋根に改められ、平成12年に《植山工務店》にて修復した際に、再び『切妻造り』の屋根に戻してるんですね。




大屋根正面の懸魚。



本来は千鳥が飛んでいそうな場所に波頭の付け木が施されてあって、遠くから見ると、一見千鳥が飛んでそうに見えて、近づいて見ると飛んでいないという懸魚で、個人的になかなか好きな懸魚よ。



枡組はボリュームを持たせてあり、その分、枡合はちょっと狭くなっています。



その大屋根正面の枡合に彫られてあるのは、『小栗判官、鬼鹿毛(おにかげ)を乗りこなす』という場面。

狭いスペースを有効に活用した図柄となっています。

この『小栗判官』に少し興味を持って調べてみたら、どうやら伝説上の人物であり、これを主人公として浄瑠璃や歌舞伎に登場する人物のよう。



そのストーリーはなかなかの愛憎劇で、ちょっとここでそれをご紹介するにはスペースが足りません。

この『鬼鹿毛を乗りこなす』の場面も、その劇中に登場する場面で、ワタクシ的にはかなり気に入った作品です。

他に枡合をちょっと見て回りますと、大屋根の右の平、『村上義光の錦旗奪還』があり・・・



自分なりにキレイに撮れた写真としてこちら、小屋根の右の平、『源頼光の木渡り』。



腰廻りは金網が施されてますので、例によって接写のものをお届けします。

左の土呂幕『武蔵坊弁慶の奮戦』から大写し。



見送り『難波戦記』内部から。



次に向かう場所があったので長居はできませんでしたが、かねてより見たかった名地車を、貴重な機会に拝見できて良かったであります!



この先も末長く、地域の宝物として大切にされる事を祈りつつ、岡山町を後に致しました。

信濃屋お半悠遊!だんじり録
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