茶屋のだんぢり漫遊録

目次

山手幹線を西から東《前編》





6月2日(日)は良いお天気でありました。

今年は近畿地方の梅雨入りが非常に遅くて、この日は『梅雨なんか来るんかしら?』と思ってしまう程の、暑くもなく寒くもない、湿度の低いカラッとしたお天気の日でした。

こんな『だんじり行事日和』の日に、1台のだんじりのお別れ曳行~昇魂式、さらに嫁ぎ先での入魂式までがいっぺんに執り行われました。

それがこちら!



神戸市東灘区平野(上御影)のだんじり。

それが、その日の内に芦屋市・芦屋濱之町のだんじりとなったのです。


今回はその一部始終の様子をリポートさせて頂こうかと思うのですが・・・

芦屋濱之町と言えば、今年の5月1日、神戸市東灘区の山手幹線にて行われた『令和奉祝記念』の巡行にも参加しておりまして、ワタクシはその時に今となっては『先代』と呼ぶべき芦屋濱之町のだんじりは初見でございました。



八尾の《彫忠》製作によるだんじりで、御影の平野が来年だんじりを新調するに伴い、平野のだんじりを購入する事になったのであります。



で、その時のブログでは5月1日の奉祝記念が曳き納めと書いておりましたが、実はちゃんとお別れ曳行は行われましてね。


お別れ曳行と申しますか、今回、芦屋濱之町は御影の平野からだんじりを購入するにあたり、それまでのだんじりを氏神である芦屋神社に奉納する事になりまてね。



5月19日(日)に行われた神社への奉納曳行がすなわち『お別れ曳行』となり、神社までの片道曳行なのであります。



芦屋神社までの道のりは、阪急神戸線の線路から山手に差し掛かると急勾配となります。

その急勾配の山道を押し上げ、芦屋神社へと到着。



昇魂式ののち、そのまま神社へ奉納されました。


そして迎えた6月2日(日)であります。

午前8時から平野のだんじりのお別れ曳行です。



こちら平野のだんじりも5月1日の『令和奉祝記念』には参加しており、そのまま今年の祭礼を終え、この日ついに最後の曳行となりました。



まずは町内をぐるりと回ります。

来年完成予定の新調だんじりは、このだんじりよりもふた回り近く大きなだんじりとなるそうで、こうした狭い路地などは、もしかしたらもう通り納めとなるやも知れませんねー。



こちら平野のだんじりは、幕末から明治初期にかけて製作されたものとされ、大工は淡路島の大工と目されているのですが、詳しい事は分かっておりませぬ。


そう、ここでひとつ思い出す事がありましてね・・・


大阪市東成区に現存しております西今里のだんじり。



平成15年の大改修で現在はこの様な姿見になっておりますが・・・

かつては『神戸型』のだんじりであり、対象3年頃、中国あたりへ輸出されるべく神戸税関の倉庫にて保管されていたところを、縁あって西今里が購入したという経緯があります。



その、西今里の改修前の姿見と、この平野のだんじりと、共通点があるんですよねー。

背格好も似通っていて、とりわけ屋根の形状がよく似ておりました。

もしかしたら同一の工匠もしくは同じ一門によるものである可能性も、なくはないと思われます。



そんな事を考えております間に、平野のだんじりのお別れ曳行は阪急神戸線の線路沿いから弓場筋を海手方向へ進み、JR神戸線の線路沿いからまた山手方向へと進行しております。



ここからは『とばせ とばせ』で走りながらの曳行



ちょっと時間が押し迫っていたのも手伝って、だんじりは山手幹線のひとつ山側の道、いわゆる『水道筋』に入ってもずっと『とばせ』のままで、ついて歩いていたワタクシ達も途中から走りっぱなしとなりました。



それは小屋を開けてお出迎えをしていた郡家の小屋まで続きました。

ここで郡家と平野のだんじりは答礼にて別れのご挨拶



ともに御影の山手地区で、御影の祭礼を作ってきた両地区であります。


さて、平野のだんじりはそのまま氏神・弓弦羽神社へと宮入りしまして、参道を進み、境内へ。



祭礼時の宮入りの様に、境内前のスロープを勢いつけて駆け上がるでもなく、練り廻し等の曳行もなく、静かに拝殿前へと付けられました。


これより昇魂式。



長年にわたり、平野の人達に愛され活躍してきただんじりは、その役目を終えました・・・




て・・・これで終わりじゃないのが今回!

この後、長い旅路が待っているのです。



そのお話は次回に譲ります・・・!




信濃屋お半悠遊!だんじり録
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