茶屋のだんぢり漫遊録

目次

まだあったぞ令和奉祝行事



しばらくブログの方をお休みしておりました。


夏祭シーズンの多忙休暇のつもりが、そのままお盆休みに突入し、気づけばながい夏休みになっておりました。

宿題もせずに夏休みをエンジョイする小学生か!・・・


もう永遠に更新されないんじゃないか」?・・・て思っているユーザーも居られたかも知れませんね・・・



とゆー訳で、気づけば『岸和田だんじり祭』が近づいて来ております。

が、久しぶりのブログは、まだまだ『おっとり刀』で、ちょいと過去のネタを漁ります。

とゆーのも、文面を書いたまま更新せずに放置していたネタがありますので、まずはそちらを蔵出ししていこうかと・・・

とゆー訳で、ブログ再開はこちらのネタをお送り致します。




4月30日に『平成』が終わりを告げ、5月1日より『令和』が始まり、早や4ヶ月となっています。

平成から令和に変わって、何か変化は起きましたでしょうか?


まぁ、ほとんどの皆さんは、平成から令和に変わったところで、生活や人生が大きく変化した・・・なんて方は居られないでしょう。

しかし、『平成』の30年間で世の中のあらゆる物事が大きく変化した様に、1日1日の変化は感じなくとも、長い時間のスパンの中では、様々な変化が起きているのです。


さて、まぁそんな話題とはたいしてかんけいないのでありますが、『令和奉祝』のだんじり行事で、ご紹介してないものがまだありました。

こちら。



南河内は河南町寛弘寺のだんじり。

5月12日(日)、『令和奉祝行事』として、だんじりを曳き出したのでございます。



ワタクシ、こうして当ブログに於きまして『だんじり』について幅広く書き綴らせて頂いておりますが・・・

すべてが得意分野って訳じゃありません。

さほど詳しくないジャンルだってあります。

その中に、実は南河内方面のだんじりもちょいと含まれてるんであります。




確かに『曳き唄』に関してもそれほど詳しくなく、特に曲のタイトルには疎いですからねぇ・・・

また南河内のだんじりの歴史や工匠についても、まだまだ全然浅学であります。


そんなワタクシではありますが、こうして南河内のだんじりに触れる機会は大変嬉しいものでありましてね。




この日は以前このブログでお届けした、岸和田市は大北町と、岡山町大西小路の入魂式の行われた日

ワタクシ自身は早朝から岡山町大西小路に身を置いていたワタクシですが、曳行後にだんじり本体を鑑賞しつつも、長居は出来なかったのであります。




それは、ここ寛弘寺の唄い出しに間に合いたかったから。

まぁ、そーゆー事なんであります。


小屋のある町会広場に出された寛弘寺のだんじり。



ワタクシは祭礼本番は見に来れないので、河南町の町制60周年記念の時以来となります。


今回、本当に『令和奉祝』のためだけにだんじりを曳き出す事を決めた寛弘寺。

移動距離は町内のローソンを往復のみという事で、しかもその道中は鳴物、及びスピーカーを使用しての『曳き唄』は禁止という、なんとも厳しい条件のもとでの曳行なのだそう。

そんな曳行の様子はいかがなものかと、出発前から駆けつけて見たかった次第。




岸和田市の山直地区からすっ飛ばして来まして、午前10時の唄い出しに間に合いました。

まずは小屋のある町会広場で、心ゆくまで唄います

あー、そゆ事か!・・・



つまり、道中は鳴物やスピーカーによる曳き唄がダメでも、この場所なら良い訳ですよね!

南河内ならではのパフォーマンス、唄いながらの行ったり来たり、そして時には横しゃくり。




それにしても、ものすごい見物客の数。

やはり南河内でもとりわけネームバリューのある寛弘寺が曳行されるとあって、これだけのギャラリーが詰め掛けるんですな。




タップリ時間をかけて1曲歌い切りまして、いよいよ道路へと出ます。

ここで、鳴物とスピーカーはストップという事で、ここからは参加者・青年団とレデイースによる『生声』での曳き唄に切り替わり・・・



これはこれでとても雰囲気の良いものに。

歴史を紐解けばスピーカーなど使って居らず、現在みたいな『曳き唄』全盛となる前は、地声で『伊勢音頭』を唄っていたのが『曳き唄』の発祥ですからな。



『曳き唄』の原点はこれなんでございましょ?

厳しい規制を逆手に取って、生唄の大合唱という『ウルトラC』を見せてくれた寛弘寺の青年団には拍手を。



良いものを体感させて頂きました。


ローソンに到着し、道路から敷地内へと入った瞬間から、再び鳴物が鳴り響き、スピーカーによる『曳き唄』が復活!



この道路上では禁止という規制は、一体なんの意味があるんでしょうな?・・・


ローソンにてひとしきり唄い上げた後、だんじりを据え置きまして、もうひとつの南河内名物『俄(にわか)』の披露



題材は『天皇と寛弘寺村』について。



この『俄(にわか)』の発祥とかの歴史を紐解いてみても、なかなか興味深くて面白いんでしょうけど、また追い追いそんな話を書けたら良いですな。

ワタクシはまだこの後さらに向かわねばならない場所がありましたので、寛弘寺のだんじりが入庫されるまでは見届けられなかったのですが、いやぁ~、堪能させて頂きましたよ。



ローソン前にて後半の『曳き唄』、そして帰り道はまた地声によるナマ唄にて曳き帰り、小屋のある町会広場では餅まきなどの祝賀行事が行われたと聞いております。

まだまだ他にも各地域で『令和奉祝』行事が執り行われておりましたが、ワタクシの手元にお写真がもたらされた分に関しては、ご紹介出来たと思っております。



『令和』に変わって早や4ヶ月。

ね?・・・もう馴染んだでしょ?

そうそう、今回はそういう趣旨のお話でした。



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