茶屋のだんぢり漫遊録

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まだ平成だった頃の話




昨年の11月から2ヶ月もブログを空けてしまいまして、今年に入ってからやっとこさ重い腰を上げましてね、ようやくブログを再開したのですが・・・


とは言えこの時期、たいした時事ネタがありませんでねぇ・・・

またまた昨年のお写真を眺めながら、ご紹介漏れしていた話題を掘り起こす作業をしてあるのですが・・・



せやせや・・・


去年の4月まではまだ平成だったんですよねぇ・・・

4月28日(日)、西宮市の名塩北之町の話題はブログでお届けしましたよねぇ。




同じ日、ちょうどその名塩からの帰り道なんですが、宝塚市内に立ち寄りまして・・・
ちょいと見たいだんじりを拝見して来たんですが、その事はご紹介してなかったですよね。


お写真からご紹介して行きましょう、こちら。



宝塚市の、上安倉のだんじりと、安倉南のだんじり。

宝塚市内のだんじりは2年に一度開催される
『宝塚だんじりパレード』
でひと通りは拝見しておるのですが、こうして1台1台をじっくり拝見できるのは、この機会。

パレードの開催されない年はこんな風に、4月の後半ぐらいに『だんじり訪問』が行われます。



全町ではないんですけど、地区ごとに輪番になっている様で、この年は上安倉、安倉南、小林、小濱のだんじりが拝見できるとの事。

隔年で行われる『宝塚だんじりパレード』とセットで楽しむのが良さそうであります。



この日、拝見できるだんじりのうち、小林のだんじりについては何度もブログに登場しておりましたが、ここ安倉の2台のだんじりはまだブログでご紹介してなかったので、この機にブログに残したいと思います。



・・・と、まぁ長々と説明をしながらも、お写真では上安倉のだんじりをご覧頂いております。


当サイトの『だんじり紹介ページ』で上安倉を見て頂きますと、ワテがブログで書きたいと思った事がすべて書いてありましてね、このだんじりの経緯についてはそちらを参照いて頂く方が早いんではないかと思うぐらい克明に書かれてあります。



まぁ、ワテはワテの言葉で書き綴ってゆきますんで、お写真では彫物の数々を見てもらおうかと思います。

お写真からも分かるように、一目見ただけで『大佐だんじり』と分かる典型的な《住吉型》のだんじりで、いわゆる『万人受け』する美しい姿見と、実は随所に『大量生産』に対応した造りが同居しているのであります。



明治25年に製作されただんじりで、大工は住吉の《大佐》十一代目・川崎仙之助

『大佐だんじり』の彫物は《彫又》一門による作品が多いのですが、こちら上安倉のだんじりの彫物は《小松》一門の手によるもの。



特に《小松》九代目・小松源助を名乗った、岡村平次郎が中心となっている模様。
モチロン、このだんじりの他にも『大佐だんじり』で《小松》一門によるだんじりは数多くあります。



このだんじりは上安倉により発注された『注文だんじり』ではなく、作り置きしてあっただんじりを購入してきた『仕入れだんじり』なのですが、まぁ運命的であると言うか、上安倉に買われるために製作された様な『縁』を感じるだんじりであります。

さてお写真では屋根廻りから彫物を見て行っておりますが、やはり見送り三枚板に目が行きます
題材は『豊臣秀吉の朝鮮の役』で、これは正面、『加藤清正の勇姿』。




こちらは左の面の『後藤又兵衛』。



ガラス目細工が施されている彫物は光の反射でキラリとひかるのであります。


脇障子は左右で『平敦盛を呼び戻す熊谷次郎直実』。





よく見られる構図ですわ。


ワテが個人的に気に入ったのはこちら。



隅障子に彫られた『誉田別命を抱く武内宿禰』。
ポージングと表情が秀逸や思います。
モチロン反対側には神功皇后が彫られてあります。




小屋根正面の拝懸魚の『猿と鷲』は、《小松》の作品によくあります。



これもお気に入り。


ここ上安倉のだんじりは昭和58年〜翌59年にかけて、岸和田の《吉為工務店》にて大修理を経験しており、修復彫師は《筒井》一門



正面虹梁、正面土呂幕(花戸口)などの彫物は、筒井和男 師の手によるものであります。


いやー、それにしても見応えあるなぁ。

お写真ナンボでもご紹介したいぐらいです。



さてさて、次回はこの上安倉と同じ小屋に並べて保存されている、安倉南のだんじりに触れて行きましょう。

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