宝塚での独特の言い回しなのです

前回に引き続きまして、昨年4月28日(日)に拝見した、宝塚市内のだんじり訪問のお話。
上安倉のだんじりと同じ小屋にて並べて保存されている、安倉南のだんじりについて触れていきましょう。

別名、下安倉。
背の高い上安倉のだんじりに比べますと小振りな姿見の安倉南のだんじり。

昭和60年に安倉南が新調したもので、大工は岸和田の《吉為工務店》吉野為雄 師、彫師は《木彫筒井工房》 筒井和男 師。

上安倉のだんじりが昭和58年に《吉為工務店》に修復に入りますが、その時に発注、もしくは施工されたものであろう察しがつきます。
上安倉でも安倉南でも、先代は『太鼓台』で、唐破風型の一枚屋根式のものでした。
上安倉は現だんじりを購入した明治25年の翌年には尼崎市の東大島へ売却し、その太鼓台は現在も東大島にて現役で活躍しています。

安倉南では昭和35年頃より人手不足で担ぎ出されなくなり、しばらく祭礼を中断していました。

昭和58年に上安倉のだんじりが修理に入る事となったのを機に、安倉南も同じ工務店でだんじりを新調する事で、『曳きだんじり』で祭礼復活という運びになったのでしょう。
それが現在も活躍するこのだんじりであり、また先代の太鼓台(担いだんじり)は、昭和59年に解体処分されたそうです。

さてこちら安倉南のだんじりですが、提灯を付けた状態で保存されてあり、この日も提灯をつけた状態での見学となりました。
見送り三枚板は『大坂夏の陣』の様子が彫り込まれていますが、金網が取り付けられています。

なのでカメラをiPhoneに持ち替え、金網越しの撮影にチャレンジ。
ご存知、真田幸村。

この鎧兜は本多忠朝ですかな。

これ木村重成でしょうかね〜?

小屋根の拝懸魚は秀逸な感じがします。

ワテのお気に入り。
さてさて、ここ宝塚では、上安倉、安倉南、小林、大原野中部などのだんじりを、分類上『彫物だんじり』という呼び方をします。

これは、本来の『宝塚型』のだんじりと区別するためにそう呼ぶのですが・・・
すなわち『宝塚型』と呼ばれるだんじりは『幕式だんじり』でありまして、特に見送り部の幕は刺繍も豪華で、内側から膨らみを持たせる形式。

これは『宝塚型』のだんじりの特色であり、見送り幕の豪華さを自慢し合うのも、宝塚のだんじりの大切な要素でもあるのです。

その、本来は飾り幕を施すはずの見送り部に彫物を組み込んだだんじりは、通常の『宝塚型』のだんじりとは違う豪華さを演出します。

なので、本来の幕式だんじりとは区別する呼び名として 『彫物だんじり』という呼び方が定着したのでしょう。
特に明治25年の上安倉のだんじりの登場は、当時の宝塚では大変貴重な出来事だった事でしょう。
さて、今年はまた4月に『宝塚だんじりパレード』が行われます。

2年に一度、宝塚市内のだんじりが一堂に会する機械ですので、まだ宝塚のだんじりに出会っていない方は、是非一度、足を運んでみて下さいください。
2回にわたって、上安倉、安倉南のだんじりに触れてみました。
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