茶屋のだんぢり漫遊録

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大正から令和までを駆け抜けただんじり




例年通り、この時期は時事ネタがないので過去ネタを漁る日々なのですが・・・


昨年末、ブログが書けなくて病んでる時期にも色々と『だんじり行事』が行われていましてねぇ。

その中でも、これは触れておかねばならないと思ったのがこちら。



はい、熊取町五門のだんじりの昇魂式でございます。
昨年10月27日(日)に行われたもの。



翌年に新調だんじり完成を控えた町が、それまで曳行してきた現役だんじりに別れを告げる『昇魂式』と、それに伴う『お別れ曳行』は、秋祭の終わった時期に当該の町で行われますが、ワタクシ個人的には、五門の昇魂式には思い入れがありましてね~。
この日がやってくるのは楽しみでしょーがなかった。

なので、この日はいつも以上に早い時間に現場に到着いたしました。
その時刻、午前5時。



お別れ曳行の出発は午前6時なのに、我ながら1時間も早く到着しまして、さっそく出発前のだんじりのお顔を拝見に。

大正10年岸和田の筋海町が新調しただんじりですが、諸事情により一度も曳かれずに五門へとやって来ただんじり。



幾度かの改修を経て、現在の姿見は新調当時の姿からは遠ざかってはいますが、ワタクシがこのだんじりと出会った20数年前は、もうこの姿見でありました。
出発前にそのお姿を拝見しておきたかった。


あくまでワタクシ個人の思いですけど、泉州十月祭礼に曳き出される各地区各町のだんじりの中でも、五門は特にファンでした。



ワタクシが泉州十月祭礼の日に各地区をハシゴして見て回っていたのはもうかれこれ25年も前になるのですが、その当時やっぱり熊取は外せなかったし、五門の遣り廻しに魅了されていましたからね。

まぁその当時、泉州のどの地区にも好きな町はいくつかあってごっつい遣り廻しを見せてくれる町を求めて、各地区を見て回っておりました。



のちに、とある地区にずっと関わらせてもらう様になってからは各地区を見て回れなくなりましたが、それでも色んな映像媒体を通じて、熊取の祭礼、そして五門の遣り廻しは堪能していました。


そんな事情もあり、ナマで五門の遣り廻しを見れるのはかれこれ25年以上ぶり?・・・となったたこの日、五門のだんじりはワタクシの期待通りの遣り廻しをバンバン見せてくれました。



大正10年にこの地にやって来てから、98年だそうです。
モチロンその当時は現在のような遣り廻しは行なっていなかったにせよ、大正から昭和、平成と、長きにわたり五門で愛されただんじりは、令和となって最初の年であるこの日、その役目を終える日が来ました。




午前6時から始まったお別れ曳行は、その最初の時間帯は駅前コースを周回し、早朝から詰めかけた多くの見物客を前に、ワタクシが惚れ込んだ遣り廻しを披露しながらの曳行。



そのあと休憩を挟んでからは、子供からお年寄りまでみんなが綱を持っての歩行曳行へと移行。



だんじりの鳴物も子供たちが占領し、『それ何人乗りなん?』て言いたくなるぐらいの子供たちが乗り込んで、まるで夜の灯入れ曳行の様に鳴物を演奏しています。



その地で長く愛されただんじりには、それだけ地域の人たちの愛着が詰め込まれてますからね。
新調だんじりはモチロン地域の新しい宝物であり楽しみですが、その新調だんじりを迎えることが出来るのも、現だんじりあっての事なのでね。
子供たちにもこのだんじりの思い出を刻み込んで欲しいなって思います。




さて、歩行曳行を終えただんじりは再び遣り廻しモードになり、町域の端まで曳行する道中で、名所の遣り廻しを披露。




そしていよいよ後ろの幟を宮入り用のフキチリに替え昇魂式のため大森神社を目指します

ご存知、熊取の大森神社へ宮入りするには、その手前で遣り廻しの名所があります。通称『オクノ衣料の角』。



今現在、泉州各地の道路も拡張が進み、遣り廻しを行う交差点も道幅が拡げられている昨今ですが、ここ『オクノ衣料』の角は、昭和の頃からそのロケーションが変わらず、だんじりが遣り廻しを行う場所としては非常に道幅の狭い角。



見物するにもキャパが狭い上に、ここを一択で早くから陣取っていた見物客が大勢おられまして、残念ながらワタクシはここへは入り込めませんでしたが、五門のだんじりは最後の遣り廻しとなる『オクノ衣料前』を見事に決めて、大森神社へと滑り込みました。
ワタクシは神社の入口に近い場所から、遠巻きに見届けました。




この宮入りまでを見届けて、ワタクシも次の場所がありましたので熊取を離れましたが、98年、おおかた1世紀にわたり活躍し、地域に愛された五門のだんじりは、静かにその役目を終えました。




このだんじりの売却先はまだ決まっておらず、しばらくは《板谷工務店》にて保管されるとの事。

そして待望の新調だんじりは、その《板谷工務店》にて現在製作中
今年の5月にはその姿が見られる事でしょう。

あ、ちなみに、昇魂式を終えての大森神社からの帰り道、板谷棟梁が久しぶりに大工方として屋根に乗られたようです。
ワタクシが見て廻っていた頃、現役の大工方さんだったのです。



それと、大正から令和まで駆け抜けているだんじりは、他にも山ほどありますね!





さ、今回はここまで。




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