思い出のだんじり、その役目を終える・・・

ワタクシがそのだんじりの存在を知ったのは中学生の頃・・・
今から約35年ほど前(年齢がバレる・・・)
当時『ザ・だんじり』という写真集がありましてね。
主に泉州のだんじりを地域別に掲載したものだったのですが・・・
現在の様にネットによる情報などなかった時代、どの地域にどんなだんじりが、どれぐらいの数あるのか、完全に未知なる世界だったあの頃、その写真集はこの上なく貴重なもので、大半が白黒写真であったにも関わらず、当時中学生の信濃屋少年は毎日夢中でその写真集と向き合い、情報量の少ない白黒写真から、祭の様子をイメージするしかなかったのです。
時を隔てて平成前半、大人になった信濃屋は、毎年10月の9日・10日は『泉州十月祭礼』をチャリンコで見て回っておりました。
そんな頃、現在の『東岸和田地区』と呼ばれる、当時の岸和田市・旭校区は必ず立ち寄るスポットとなっておりました。
その、旭校区の中で、昨年11月10日(日)にその役割を終え、昇魂式を迎えただんじりがあります。
こちら。

そう、極楽寺町のだんじり。
昇魂式当日の朝、まだ夜も明けきらぬ午前6時前、極楽寺町のだんじりと対面したワタクシは、まだ白黒写真でしか知らなかった中学生時代へと思いを馳せておりました。

その『ザ・だんじり』という写真集に掲載されておりましたのは、昭和58年、59年、60年といった時代の祭礼風景。
岸和田の旧市地区の祭礼は昔から見物客も多く華やかでありましたが、当時の『十月祭礼』はまだまだ発展途上の過渡期。
白黒写真から伝わってきたのは、勇壮・豪快な曳行風景よりも、山あいの道を進むのどかな曳行風景でした。
そう、現在の様に遣り廻しの出来るコースを周回する祭礼ではなかった時代です。

『極楽寺町』・・・すごい町名やな・・・て思いながら、いつかはこの目でその曳行風景を見ようと夢見て、やがて見に行く年齢になった頃は、現在の『東岸和田地区』へと発展してゆく途上の時代で、まだ道幅の狭かったJR東岸和田駅前を周回していた頃でした。
あれからさらに25年ほどが過ぎて、ついに極楽寺町でもだんじり新調を控え、ワタクシが子供の頃に白黒写真で心をときめかせていただんじりが、その役目を終える日が来ました。

現在のJR東岸和田駅周辺は急ピッチで再開発が進み、ワタクシが見て回っていた平成前半の風景はほぼ消え去りましたが、そこから山手方向にしばらく進めば、まだまだ開発の手の及んでいない旧村へと立ち至ります。
極楽寺町の町内は、まさにそんな、昭和の頃の風景がほぼほぼ残る地域。

ここを午前6時半頃に出発しただんじりは、昇魂式のため、『一ノ宮』と呼ばれる『矢代寸神社』へと向かいます。
道中の遣り廻しは、流木町のだんじりに見送られた1ヶ所と、そして神社に飛び込む宮入りの遣り廻しの2回。

その宮入りの遣り廻しが、このだんじりにとって、極楽寺町での最後の遣り廻し。
片側1車線のバス道から狭い参道への遣り廻しは、祭礼日でも大きな見せ場であり難所。
矢代寸神社へ宮入りするだんじりは、毎年この遣り廻しに賭けていると言います。
極楽寺町として最後の遣り廻しは、祭礼と変わらぬ勢いでドンピシャに決め、そのまま境内へとノンストップで滑り込みました。
ワタクシは動画撮影していたのでその時のお写真はございませんが、最後の遣り廻しをドンピシャで決めて、思い残す事のないお別れ曳行となったと思います。

さてこのだんじりは昭和28年に同町にて新調されたもので、大工は《大義》植山義正、彫師は近州・醒ヶ井の井尻翠雲で、井尻翠雲が責任者となって作事した唯一の『岸和田型』だんじりなんだとか。

植山義正棟梁にとっては、昭和26年に貝塚市は東のだんじりを世に送り出した後の作品って事になりますな。

さて昇魂式を終え、町内に戻ってきただんじりは、町内のお年寄りから子供まで、みんなが一緒に参加しての曳行となりました。

寸法的にはやや押さえた大きさのだんじりで、やはり道幅の狭い村道を曳行するための事と思います。

平成期に新調された『岸和田型』のだんじりは空前の大型化ブームであり、各地区・各町がこぞって大きなだんじりをお披露目する中で、ワタクシはこうした村道に適した大きさのだんじりへの愛着を増してゆきました。
今見てもやっぱり良いなぁって思うし、曳きやすそう、狭い道での遣り廻しに適していそうなだんじりは、これからもずっとワタクシ好みのだんじりであります。

こちらは歴代の法被と飾り物と、平成8年の修理の際に交換された彫物ですかな?

これらも町の歴史を語る資料として、大切に残してほしいものです。

新調だんじりは《植山工務店》にて製作中。
9月に入館式・お披露目が予定されています。
新調だんじり完成は楽しみですが、まずは、この先代だんじりの労を労い、末永く残される事をな願います。

まだ中学生だった頃のワタクシの、淡い思い出とともに・・・
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