夏の終わり〜大阪一の地車との別れ〜 壱
去る7月24日、25日
大阪一の規模を誇る天神祭の開催が、今年も例の疫病によって自粛されました。
賑やかな花火やテキヤ目当てに、大阪人なら一度は訪れた事がある天神祭。

実はこの天神祭こそ、我々が愛する地車祭の元祖と言っても過言ではないでしょう。
遡ること240年前の安政9年(1780)近隣の村々や遠く別の氏地からも集まった地車84台が夜を徹して、ここ天満宮へ集まったと記録が残ります。

え、そんな数の地車どこ行ったん?
はい、大阪は昔から天満焼けや歴史で習う大塩平八郎の乱などで大火が絶えず、多くが焼失されたとされますが、他の地車の事は次の機会で書くとして、唯一ここ天神祭にて今に残った地車がありました。
天満市場地車


食い倒れ大阪の名に相応しく、天下の台所を支えた天満市場。
ここで素晴らしい地車が誕生しました。

正確には天満青物市場の地車として講という組織を構成し、独自に運営されておりました。
さて、そんな名地車のお話しは次のブログで詳しくご紹介します。
乞うご期待!
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