夏の終わり〜大阪一の地車との別れ〜 弐
今回ご紹介するのはこの地車。

一般には嘉永5年(1852)に建造され、明治29年に天満宮へ奉納されたとされていますが、実は寛政7年(1795)以前に製作されたとされる、この地車。
製作大工は不詳ですが、大阪天満宮近くで代々宮大工を営んできた大和屋こと山崎師宅には、既に寛政7年に描かれた図面が残っておりました。

この資料の発見により、嘉永5年以前の寛政7年より以前にこの地車が存在した事が明らかになります。
彫物師は、資料こそありませんが間違いなく浪花彫刻師、相野一門。
天満宮本殿や拝殿と同じ相野一門が刻んだ、正に大阪を代表する名地車。

幕末の動乱や昭和の大阪大空襲、そして数々の疫病や災害を乗り越えて、226年以上前から令和の世まで現存して下さった名地車との惜別の別れ。
令和の疫病の流行によりこの地車のお別れ曳行こそ行われませんでしたが、この地車が誕生した天満市場の現在、ぷらら天満にて二日間、天神囃子が鳴り響きました。

最期の別れを惜しむ様に、大阪中からこの地車を見に、そしてこの地車囃子を聞きに多くの見物人が集まり、最期の夜を終えました。

翌26日、天満宮にて曳き納め式がしめやかに執り行われ、寛政、享和、文化、文政、天保、弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応、明治、大正、昭和、平成、令和と受け継がれてきた人々の想いを胸に、別れの天神囃子は天高く鳴り響き、226年以上の歴史に幕を閉じました。

最後に、この地車や天神祭が無ければ、今の僕らが愛する地元の地車やこの祭りは生まれてなかったでしょう。
地車の元祖、大阪の宝、日本の宝へ、心より感謝。
お疲れ様でした。
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