新説! 長野の彫物図柄・・・・
えぶりばぁでぃ~、ご機嫌いかがぁ~?、だん馬鹿ですぅ~。
今日は『だん通』の更新をする予定ではなかったのですが、私の上司でもある新婚ITOHの「上げてくでぇ~」との緊急要請により、急遽アップすることに・・・・。今日は、早く帰って釣り具屋さんに行こうと思っていたのに~。まっ、明日更新する予定だったので一日前倒しでいきまっさぁ~!
で、今日は前回の「だん通」でも予告したとおり、5月17日(日)に修理が完成し入魂式をおこなった河内長野市長野地区 長野の地車について書いてみようと思います・・・・。
長野の地車は明治20年頃に購入されたもの。製作大工は《住吉大佐》十一代目 川崎仙之介。見送り部分には『住吉郡住吉村大佐 川崎仙之助』と書かれた銘板が今なお残されています。彫物は《小松》一門の作。型式は擬宝珠勾欄住吉型(大佐式)地車。
数ある《大佐》の地車の中でも、この長野の見送り三枚板は他に「類を見ない」と言っても過言ではないほどの見事な出来映え。
我々、地車彫刻ファンを魅了して止みません。
しかし、この見送り三枚板の彫物図柄は、これまであちらこちらの書籍・パンフレット、PCサイトなどでも紹介されていますが、「こりゃぁ~ちょっとやっかいな図柄!」。
どれを見ても、しっくりこない・・・・と言うか、「明らかに間違ってるでぇ~」ってな感じ。
地車彫刻を調べている仲間たちと、あれやこれやと議論すること5年余り・・・・。
たまたま先日、巨漢の地車彫刻研究家の巨漢I君からの「長野の図柄なんだろネ?」コールから、激論に激論を重ねること、延5時間余り。両者納得の結論がついに・・・・。
左面は、少々彫物に興味のある人ならば誰でもわかる?「渡辺綱、羅生門禁札立て」。相手、羅生門の鬼は、茨木童子。

さあぁ~、ここからが難問中の難問・・・・。右は、これまで「武内宿禰」とも、「蝦蟇仙人」とも・・・・。近年では「肉芝仙人」とも、「伊賀寿太郞」とも、諸説こもごも・・・・。
方や、後正面は「頼光と酒呑童子の血戦」とも「渡辺綱、羅生門の鬼と戦う」などと、「どれがホントの図柄なの?」ってな感じで、あちらこちらで紹介されてきました。
上地車の見送り三枚板は通常、三面関連のあるもので構成されていることが多く、この長野の見送りも例外ではないと考えることができます。
唯一、図柄の特定している左面の渡辺綱に関連づけて、後正面の図柄を考察していくと、頼光と言われてきた武者の鎧にも渡辺の家紋(渡辺星)が彫られており、よって、後正面の武者も渡辺綱と考察できます。

綱の相手となる「鬼」が大江山の鬼退治の酒呑童子とすれば、綱よりは頼光が彫られるべきで、「頼光と酒呑童子の血戦」ではなく、「渡辺綱、羅生門の鬼と戦う」とした方が正解かも知れません。
しかし、右面の蝦蟇と仙人風の人物と綱を関連付けるのは至難の業。ただ、「武内宿禰」・「蝦蟇仙人」では、綱との関連性は皆無。

それならば、「肉芝仙人」か「伊賀寿太郞」となるのですが、伊賀寿太郞は藤原純友の家臣で蝦蟇の妖術を使う人物。その妖術を伝授された人物とされるのが、かの平将門の遺児、相馬太郎良門(平良門)。
父将門の無念を晴らすため、良門と滝夜叉姫は、伊賀寿太郞ともども、秘かに同志を募り、準備をすすめていた。その動きを察知した頼光は、先手を打って相馬内裏を襲撃し、その野望を砕く。その頼光の四天王の一人が渡辺綱・・・・。これが『相馬内裏合戦』という、錦絵などにも画かれた物語。これで、つながった!
後正面の「鬼」は、酒呑童子や羅生門の鬼ではなく、父の無念を晴らすため鬼の形相で頼光らと戦った「滝夜叉姫」とすればつじつまがあい、見送り三面が関連付けられるのです。よって、右面の白髪の人物は「伊賀寿太郞」とするのが妥当かと・・・・。
したがって、『新説!、長野の見送り三枚板の図柄』は、後正面『相馬内裏合戦 渡辺綱、鬼の形相 滝夜叉姫と戦う』、右『蝦蟇の妖術を使う伊賀寿太郞』、左『渡辺綱、羅生門禁札立て』。
友人の地車彫刻研究家の巨漢I君ともども、納得、納得・・・・。激論、延5時間余り、あぁ~疲れた疲れた・・・・。
後日、大佐の地車にはめっぽう強い友人の地車彫刻研究家の少し巨漢のM君に話したところ、「今のところ、一番妥当だろうね・・・・」とあっけなくかわされてしまいました。
まぁ~、一安心一安心・・・・。
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